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解体正図

下野国の壬生(みぶ)藩で、
藩医の齋藤玄昌(玄正)、石﨑正達らを会主として
天保11(1840)年12月11日におこなわれた解剖に基づき、
高倉東湖が水彩で描いた8葉の彩色解剖図。


8葉の図版は上記の順に並んでいる。

表題の次と奥書の次に各1葉の白紙あり。

各葉は縦26×横20cm。

原装は一枚の畳物だったが、浜松医科大学への寄贈後に裏打補修して表紙を付け、
折本仕立に改装。

歯科口腔外科の茂木克俊(もてぎ・かつとし)教授(当時)を通じて、
同教授の母方の家系である栃木県壬生町の荒川家に伝来されてきたものを、
ご寄贈いただいた。
(浜松医科大学附属図書館報『ひくまの』no.12(1987年3月),p.6; no.13(1987年6月),p.3 参照)

異本について

壬生町立歴史民俗資料館、栃木県立博物館、
杏雨書屋(武田薬品工業株式会社研究所付属図書館、大阪市)
に、それぞれ異本の所蔵がある。
壬生町立歴史民俗資料館、杏雨書屋の蔵書は、絵師高倉東湖の自筆による。
これを原本として、浜松医科大学附属図書館、栃木県立博物館の蔵書は、
それぞれ別の絵師によって製作されたものと推定される。

(渡辺達也「「解体正図」の描画上における一考察」『種痘医齋藤玄昌』p.67-80 による)。 この電子展示の解説は、主として、『種痘医齋藤玄昌』を参考にさせていただいた。
『種痘医齋藤玄昌』は、壬生町立歴史民俗資料館の第6回特別展
「種痘医齋藤玄昌:ジェンナー種痘発明二〇〇年記念」
(1996年1月28日~3月10日)の図録である。

齋藤玄昌(玄正)

文化6(1809)年2月、下野国梁田郡羽苅村に生まれた。
名は知柔、通称は玄昌、号は一瓢。
天保5(1834)年より壬生藩鳥居家に藩医として仕える。
蘭方医として活躍。種痘を積極的に取り入れ予防衛生に献身した。
明治5(1872)年没。 「解体正図」は、天保11(1840)年12月11日におこなわれた解剖の記録である。
壬生の黒川上河岸の刑場で、上州の盗賊・万吉の刑屍体を払い下げ解剖をおこなった。
宝暦4(1754)年に山脇東洋らが京都でおこなった日本で最初の人体解剖からは86年後、
杉田玄白らが『解体新書』を出版した安永3(1774)年からみても66年後にあたる。

(酒井シズ「壬生藩医斎藤玄正の業績について」『種痘医齋藤玄昌』pp.13-14 を参照)