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七科約説

『七科約説』について

(図書課)

(『ひくまの』Vol.2, No.1(1984.4),p.3)

 いま、浜松医科大学の図書館に所蔵している『七科約説』は、1874年5月原著刊行の第2版の翻訳であり、『訂正七科約説上編』、『七科約説下編同附 録』の2冊で、A5版に近い20.8cm × 13.2cmの大きさ、総クロース、模様のある背皮に金文字の書名入り、折返しはマーブル紙、本文も上質紙の豪華な本である。上編には、当時の順天堂病院 長佐藤進の題字、衛生局長長与専斉の序文があり、解剖科、生理科、化学科、薬物科の4科目を926ページに収め、奥付には明治9年12月20日版権免許、 同11年5月出版、翻訳出版人として太田、柴田、虎岩3人の氏名・住所が並び、図式彫刻人として浜松駅旅籠町印版師兼活版所の鞍智逸平及び名古屋本町の中 島大助の名が見える。そして、発行店舗の中に東京日本橋の丸屋善七、横浜・名古屋の同善八、西京寺町の同善吉、大阪の同善蔵の丸善一過が名を列ねて、定価 3円8拾銭と朱印が押されている。
下編は、同じ装幀で、薬物科下編、内科、外科、産科、附録(原因学など診断の基本が列挙されている)などを1,150ページに収め、奥付には、明治10 年2月23日七科約説下編の版権免許、同12年3月6日同附録の版権免許、同12年4月28日合本御届と記され、定価4円5拾銭の朱印が押されている。こ の印刷・製本は、現在も引き続いて浜松市中沢区で営業している開明堂の前身に当る上述の鞍智活版所であるが、2冊を通じて477図のさし絵が忠実に模写さ れてあり、原語の読みはルビを丁寧に付されていて見事な作品である。当時わずか人口1万2千(現在浜松市は50万人)の東海の一小駅でしかなかった浜松の 印刷・製本技術が極めて優れたものであったことに驚くものである。それは一体、何部印刷されたのであろうか。
また、その原著の第1版(1869年版、出版社は PHILADELPHIA, HENRY C. LEA, 20cm×12cmの大きさ、約1,000ページ)は、いま名古屋大学附属図書館医学部分館に所蔵されていることが判り、過日、その一部を複写して頂いた が、こんな手近なところで見ることができて有難いことである。この『七科約説』は、当時医書が少なかった時代に、この高価な本を医師と学生たちが争って入 手したといわれているが、彼らが求めたこの本を真剣に学んでいる姿が目に浮かぶようである。明治12年に浜松医学校の在校生は37名、全国の医学校の生徒 数は3,000余名、教員数166名(うち外国人4名)であったといわれている。