index > 図書館 > 七科約説 > 阿知波五郎

七科約説

阿知波五郎

「明治初期の日米医学交流について」

『日本医事新報』No.2174, p.43-46 (1965年12月25日発行) より部分引用

「日米医学の交流は終戦後とくに密接となったが、明治初期、ことに明治十年(一八七七)前後にアメリカ系医学訳書の流行した時期がある。 ... ペンシルバニア大学 ... 関係者の訳本は多い。私は明治初期に十種に近い訳本の出たペ大学で衛生学を最初に講じた賢理・華都遮崙(ヘンリ・ハルツホルン)(または乞治呵〓(ハルツ ホルン)、或は単に華(ハ)氏として親しまれた Henry Hartshorne (1823-1886)について期待を持ってペ大学へ行ったが、この人は余り有名でない。その肖像も掲げてない。しかし、その人の著書で少しは一般に知ら れているのは三つあることが判った。それは Essentials of the Principles and Practice of Medicine (1874) と A Conspectus of the Medical Sciences (1874) さらに Memoranda Medica の三つであった。
これで判る通りに、実地医家もしくは一般学生向きの簡易医学書ばかりである。学者としてよりも簡易医学書を書いた人として有名であったので、その為に明 治初期の日本医学者や医学生たちに歓迎されたのである。即ち Essentials を訳した「内科摘要」(この本にはハルツホルンの肖像と筆跡が巻頭に掲げてある)や華氏と冠名の多くの処方集などの訳書があり、A Conspectus は医学全書であるから、これの訳本「七科約説」をはじめ病理、解剖など各項目について夫々の訳本がある。
Memoranda Medica は「七科約説」の下巻に附録としてその訳が載っている。今迄ハルツホルンについて、どの医学史にも書誌学の本にも余り記載されていない医人であるので不思 議に思えたが、それで万事は氷解した。全く明治初期は泰西医学の全貌を知るのに急いでいた時代で、こういう本(例えば「医学全書」とか、「七科問答」と か、「医通」とか、ペ大学にも後で関係のあった「ドーグリソン」Robley Dunglison (1798-1869)の「医語類聚」とか)が非常に歓迎された。一つには医術開業試験の参考書としても価値があったのであろう。」