sweNinmulA 30NEWSLETTER看護学科13期生(2011年3月卒業)志田 暁香 こちらからご連絡ください!をいただきありがとうございます。前号では高校からの友人が、以前の号にも私が学部生の頃さった先輩が執筆されていました。そうした大 変 恐れ 多いのですが、私なりに綴らせていただきます。しています。他の地に住む選択肢もあり得たとまる道を選んできました。それなのに、その選択を前向きにとらえられるばかりではなかったように思います。みなさま、こんにちは。看護学科13期生の志田暁香と申します。今回は、このような機会に保健師の仕事について話を聞かせてくだご縁に感謝しつつ、ご活躍のみなさんの中で私は、生まれてから現在まで、浜松で生活を思いますが、どこか自分の意思で、浜松にとど学部時代、講義を受ける中で一番自分にフィットすると思われた保健師になる職業選択をし、就職する直前に東日本大震災が起こりました。あの、なんとも表現できない空気感の中で職業人としてのキャリアを開始しましたが、風 光 明 媚な環 境 の 中 、経 験 豊 かで 優しい先 輩方に囲まれて、自分が何もできない無力感は感じつつも楽しく、母子保健を中心とした業 務を行っていました。学 部の卒 業 時には「3年経験したら大学院に進学する」と心していました。しかし、仕事で必要とされる知識の多さ・多方面さに追われ 、とても研究したいテーマが見つからなかったこと、その後児童福祉分野に異動し、制度の狭間で困難に直面する人々の生活から考えさせられることが多かったこと、尊敬できる上司と一緒に働くのが楽しいと思っているうちに自身が妊娠したことから、進 学への思いは 気 づけばどんどんと遠のいていきました。育休復帰後は、コロナ禍への突入を経て、母子保健分野に再び異動。通常業務をこなしながらの疫学調査等保健所業務のサポートや、コロナワクチンの集団接種業務に従事しました。そこで、いろんな偶然が重なって再び進学という目標を思い出し、理解ある夫の後押しを得て、オンライン履修も可能な本学大学院の扉を叩いたのでした。ところで、コロナ禍で子どもの保育園が休園となり仕 事を休まざるを得なくなった日に、アクトタワーに登りました。勤務地がアクト周辺であったので、見える景 色としてはいつもと同じです。しかし、展望台にて見えた景色はいつもと違うものでした。いつもと同じなのに違う、それは俯瞰して見るという視点の違いだと思うのですが、大変新鮮な感覚で、衝撃的でした。そして、大学院での学びは、私に時折、それと同じ感覚を引き起こします。仕事をしているだけでは目の前のことに追われて荒んでしまいそうになる自分に、本質を思い出させてくれるような、そんな感覚です。私は変わらずに浜松にいて、円環のように日々を送り、点Pのように存在しています。けれど、出会う人、関わる人は年々違っていきます。しかし、この執筆が回ってきたように、点P同士が不思議なタイミングでバトンをつないでいたり、俯瞰という視点を得て、たどる円環が螺旋になる状況に遭遇したりしています。VUCAと呼ばれる不確実な時代。この先がどうなるかはわかりませんが、今いる場所、今できる活動の中で、何か人々の役に立てることを自分なりに行いたい。種まきするように偶然を積み重ね、そこから起こることを大切にしていけたらいいなと思っています。これからもみなさまの日々が、健やかで穏やかなものでありますように。▲ 期間限定で、庁舎内にいてくれるヱヴァンゲリヲン初号機▲ 前号執筆の友人とともに(筆者:右から2人目)▲ ゼミのみなさんと。楽しくディスカッションしています。この人(本学卒業生)の話を聞きたい、もしくは卒業後の近況を報告したいなど、ぜひご連絡お待ちしております。過ごす地は変わらないけれど
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