●「“かいちゃダメ”は本当だった!」ナノスーツ-電子顕微鏡法が とらえた水いぼウイルスと皮膚バリアの攻防●2025年 新執行部スタート 渡邉裕司新学長インタビュー/新執行部の紹介目 次トピックス新任職員の紹介研究最前線NEWS131617-18●原発性胆汁性胆管炎モデルマウスで疾患の病態を解明する ··· 17●透析導入後の暮らしをより良くするためにできる支援のかたちを探る ··· 18トピックスWhatʼs New ここからは、先生ご自身のことを掘り下げてお聞きしたいのですが、ご経 歴について教えていただけますか?私は静岡県三島市の出身で、韮山高校を卒業後、北海道大学医学部に進学しました。1983年に北大を卒業し、すぐに浜松医科大学の内科学第三講座に研修医として入局しました。1年間の内科研修を経て大学院に進み、その後1989年から91年までドイツ・デュッセルドルフ大学に留学して研究を続けました。帰国後は再び浜松医大に戻り、臨床薬理学講座が正式な講座として発足した際に助教授として異動し、その後教授として講座を運営しました。2016年からの3年間はクロスアポイントメント制度により東京の国立国際医療研究センターでも活動しましたが、その間も浜松医大に籍を置き、大学業務を兼任してきました。学長就任前の7年間は、理事・副学長を経験させていただきました。42年前に浜松医大で医師としてのキャリアをスタートし、研究者まず、学長に就任されてから約3ヶ月以上さい。(取材日:2025年7月)まず感じているのは「非常に大きな責任をスタートを力強く順調に踏み出せているのことに心から感謝しています。私自身、これまでは理事として企画・評価や教育・研究といった特定の領域を担当してきました。しかし、なりません。大学の未来を方向づける大きな経ちましたが、学長に就任されての率直なお気持ち、一番変わったことをお聞かせくだ学長に就任してからのこの3か月余り、担う立場になった」ということです。これが一番大きな変化だと思います。浜松医科大学は昨年開学50周年を迎え、今年度から新たな半 世 紀へと歩 みを進めています。そのは、これまで同窓生や教職員の皆さんが、建学の理念の実現に向けてたゆまず努力を積み重ねてくださったおかげであり、その学長としては大学全体を見渡し、病院も含めてその将来像まで考えていかなければ責任を改めて感じています。千住淳教授の研究開発課題が科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業(探索加速型)の「本格研究開発課題」に採択されましたとしても多くを学び、育てていただいたことを深く感 謝しています。半 世 紀の歴 史を刻 み、発展を遂げてきた浜松医大の一員であることを強く誇りに思っています。浜松医科大学出身の学長と言っても過言ではないですね。海外留学でデュッセルドルフ大学に行かれたということですが、印象に残っている出来事があれば教えていただけますか?留学はベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの再統一がなされた劇的な時期に重なりました。このドイツ・デュッセルドルフ大学での2年間の留学は、私の人生の中でも非常に濃密で大切な時間でした。日本にいると休日や夜間でも緊急で病院に呼ばれることもありましたが、留学中は研究に専念することができました。不便なこともありましたが、研究以外は幼稚園に通う娘と妻と海外での生活を楽しむことが出来ました。研究では、ハンス・ミカエル・ピーパー先生の下で学びました。先生は学問的にも人間的にも心から尊敬できる方で、家族ぐるみのお付き合いが今も続いています。一昨年には引退したピーパー先生を再び訪ねることができました。先生がデュッセルドルフ大学の学長に就任された際には本学を訪れてくださり、そのご縁から現在では両大学間で海外留学協定を結ぶまでになりました。また、留学時代の同僚が現在はドイツの大学教授となり、本学からの教員留学を浜松医科大学フォトコンテスト作品募集「THE日本大学ランキング2025」で教育リソース2位にランクインしました滋賀医科大学との交流会を開催しましたINTERVIEW1-8主催学会・シンポジウム●遺伝子診療の新時代に向けて●日本ペインクリニック学会 第5回東海・北陸支部集会を開催して1314159-11講座・研究室紹介学会賞等受賞NEWS1112次世代×研究者2025年4月に第8代学長として就任した渡邉裕司新学長。これまで臨床薬理学講座教授、企画・評価担当理事、教育・研究担当理事を務められた渡邉新学長に、就任の想い、これからの大学運営について語っていただきました。NEWSハンス・ミカエル・ピーパー先生と1 NEWSLETTER渡邉裕司新学長
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