浜松医科大学 NEWSLETTER 2022.3 (Vol.48 No.2)
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NEWSLETTER 昭和55(1980)年4月に採用され、本学事務局で42年勤めさせていただきました。その間、多くの方々にご指導をうけ、無事退職の日を迎えられましたことを感謝いたします。 仕事はそこそこにやってきたと思っておりますが、今振り返ってみるとコミュニケーションが大事だったなとつくづく感じます。最初の係長に野球部に入るよう勧められ、職員野球部に入り、他大学との遠征や市の大会にも参加するなど、真剣に野球に取り組みました。野球の時だけでなく先輩方にかわいがってもらい、それが仕事にも活かされスムーズに業務を行えることになったと感じたことを覚えています。野球以外でもバレーボールやサッカーなどにも参加し、事務局以外の方々とも交流し、楽しかったのはもちろんですが、仕事の面でプラスになったとつくづく感じています。 もちろん業務を行う上ではそれだけではないですし、いろいろな考えはあると思いますが、私は仕事を行う上ではコミュニケーションが何より重要であると考えています。 大学ではこれからもいろいろなことがあると思いますが、皆さんが互いにコミュニケーションをとりながら力を合わせて今後発展する浜松医科大学を盛り立てて下さい。大変お世話になりました。ありがとうございました。 昭和59(1984)年4月より実験実習機器センター(現 先進機器共用推進部)に採用されてから38年間、主に電子顕微鏡を用いた超微形態構造解析に携わる研究技術支援として、臨床生検、実験動物、ウイルス・細菌、培養細胞、昆虫類など多岐にわたる試料作製および観察撮影を行ってきました。特に、宇宙空間に近い真空下の電子顕微鏡鏡体内において、これまで不可能とされていた含水状態を保持したまま生物個体や組織・細胞を観察する「NanoSuit(ナノ重合膜)」の技術開発に貢献できたことを嬉しく思います。また、所属する技術部では副技術部長として技術部の運営業務にも関わらせていただきました。学外では、電子顕微鏡技術交流のボランティア活動としてITEM(電子顕微鏡技術交流会)という有志団体を組織し、平成6(1994)年から約12年間にわたり主にベトナムにおいて電子顕微鏡学会の再建に協力、毎年技術交流やシンポジウムなどを開催して技術支援を行ってきました。これら現地の方々との技術交流ができたことは、自分の視野や価値観が広がり、大変貴重な経験となっております。 最後に、今まで大過なく勤め上げることができたのは、先生方や技術部職員をはじめ多くの教職員のご助力のおかげだと、心より感謝しております。本学の益々の発展を祈念いたします。長い間本当にお世話になりました。 神奈川県内の大学を卒業後、浜松市助信にある丸山病院検査室から主に血液検査、心電図を担当する臨床検査技師としての社会人生活をスタート致しました。昭和61(1986)年本学医学部附属病院病理部(当時は病理検査室)に入職、診療業務の病理標本作製の23年間、時間に追われる毎日でした。その後、研究棟に異動し動物組織も加わり研究支援の病理標本作製の13年間を過ごしました、先生方のサポートもあり組織内病原体の真菌を染め出す特殊染色法の改善についての学会発表、論文投稿も経験させて頂きました。 病院は「出来て当たり前」を求められましたが、研究棟では研究者の方々と一緒に結果を出していくのが大変興味深く研究支援業務の意義を感じました。担当業務でもあった免疫染色においては恒常的に使用される抗体の依頼は満面の笑みで受けていましたが、あまり聞き馴染みのない抗体は、試行錯誤しその染色結果に一喜一憂したものです。 「お給料をもらいながら勉強させて頂いている」と奮起してまいりましたが、辛い時迷う時は必ず誰かが手を差し伸べて助けてくださいました、お陰様で無事に定年を迎える事が出来たと思っております。 多くの方々に感謝するとともに、本学の益々の発展を祈念しております。総務課 課長長井 亨悟技術部 技術専門員太田 勲技術部 技術専門職員川端 弥生10お世話になりました。電子顕微鏡とともに歩んだ38年皆様に支えられた36年

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