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七科約説

七科約説(しちか やくせつ)

上下編2冊からなる。明治11-12(1878-1879)年にわたって、浜松駅旅籠町の鞍智逸平印版師兼活版所(浜松市中沢町の開明堂の前身)で印刷された翻訳書。原書は、米国ペンシルバニア大学教授ヘンリー・ハルツホルン(Henry Hartshorne)の医学概説書 A conspectus of the medical sciences の第2版(1874)。
当時の浜松県立病院長 兼 浜松医学校校長 太田用成、同教頭 虎岩武、同教員 柴田邵平の3人によって訳出された。膨大な翻訳の大部分は、新進気鋭の虎岩武によるものといわれている。
明治初期の内務省の医術開業試験は、解剖、生理、薬物、内科、外科、眼科、産科の七科目であって、本書の内容がこれにほぼ合致しており、他に試験科目全部をまとめた医学書がなかったので、本書は最適の参考書として評判が高く、当時としては破格の値段(上下編で8円30銭)にもかかわらず、全国の医師あるいは医師志望者が競って買い求めた。
明治初期に、このような大冊が、東海の一小駅にすぎなかったこの地で刊行されていたことは意義深い。
上編の内容は、解剖科、生理科、化学科、薬物科上編で、926pからなる。下編は薬物科下編、内科、外科、産科の1001pと附録の149pからなる。この附録は原著者の「医学備忘録」 Memoranda medica を訳出して加えたものである。
本文中には挿図が豊富で、総計477図の精巧な木口木版がある。
明治11(1878)年5月、まず、上編の初版が刊行され、下編は明治12(1879)年4月、上編の再版と同時に刊行された。
浜松医科大学附属図書館所蔵の上編は、背表紙標題が「訂正七科約説上編」で、本文926pの後に、正誤表(「訂正七科約説上編正誤」)13pが合綴されている。奥付の表示は、初版のものであるが、本来再版にあるべき明治12年3月の「長与専斎撰並書」の序文も付いている。
本学所蔵の『七科約説』は、昭和52(1977)年に古書店より購入したもので、「明治41年8月定期検閲済」、「井出蔵書」の捺印がある。また、『訂正七科約説上編』については、富山医科薬科大学附属図書館から平成3(1991)年2月28日付で管理換の複本も所蔵している。

奥付

翻訳出版者:太田用成、柴田邵平、虎岩武
虎岩武:
安政3(1856)年~明治27(1894)年8月14日 信州飯田の城主堀氏の家老虎岩頼啓の長男として生まれ、ジフテリア感染で38歳の若さで亡くなる。
太田用成:
弘化元(1844)[i.e.(1843)]年3月26日、信州飯田藩士館野四郎左衛門の三男として、飯田の馬場町に生まれ、明治45(1912)年7月15日、69歳で没。
柴田邵平:
浜松県立病院医員、兼、附属医学校教員
愛知県出身(1825-1898)

A Conspectus of the medical sciences : comprising
manuals of anatomy, physiology, chemistry, materia
medica, practice of medicine, surgery, and obstetrics
for the use of students / by Henry Hartshorne.
2nd ed. Philadelphia : H.C.Lea, 1874 の翻訳

主要参考文献

浜松医科大学附属図書館報『ひくまの』の関連記事

  • Vol.2, No.1(1984.4),p.1-2: 「遠州の医史」その1「浜松医学校」 / 白川彰
  • Vol.2, No.1(1984.4),p.3:「『七科約説』について」 / 図書課
  • No.29(1995.8),p.1-2: 「「七科約説」の原本を尋ねて」 / 南方陽
  • No.30(1996.3),p.3:「浜松医学校と虎岩」 / 倉田千弘